Episode-2/回想

Episode-2:あそビルドの可能性を探る。

【活動の発展】:遊びの発想を社会に活かす結び目探し

☆遊びの可能性を信じてとにかくできることを繋がりの中でやってみる!☆

期間:2018.4.1~2020.3.31


Episode-2 。“あそビルド”の可能性を探る。

 

等身大にこだわって3年ほど活動したEpisode-1からうまれた5つの構想を“プロジェクト”化させ、自分の日常の中でひそやかに進めて暮らすことにした私。Episode-2をひとつの時代としてふりかえると、"プロジェクト"と自身の活動(暮らし)を捉え、自分なりの表現を意識していくことで、自分の日常を省察し言語化することや再編集することで客観視が培われ、言語化の変換のバリエーションやスピードが劇的に進化しました。

“ことば”が結んでくれた“つながり”

自分なりに言語の構造化が進んだことで、自分の今までの活動に対する考えを説明することができるようになり、会話だけでなく、文章にして綴ることができるようになりました。遊びの発想を社会に活かす結び目探しという意識を強めたことで、“ことば”が人とのつながりを結んでいってくれました。様々な人と対話がうまれたことで新たな世界を知れ交流の幅が広がりました。中でも、兵庫県環境審議会の公募委員に任命いただいた2年間はたくさんの学びを得ることができました。“政策”という構想の描き方は私にとって構造的で創造的なもので、多様な視点から対話ベースとした合意形成のプロセスを体感できたこと、また多角的に現状の課題を捉え、よりよい未来に向かって方向づけていく計画性は今後の発想のヒントになっていくように感じています。 

 

 

等身大にこだわった“個”の活動に“公”な視野を加えていく…「あそビルド」の社会での新しい可能性にも後々つながっていくような発想のたねをいただいたように思います。

”ことば”を表現することへのジレンマ

一方で、等身大という“個”のあり方からふりかえる時、“プロジェクト”化が与えた”省察”の習慣化は自分の内省においても感度を高めて進行していくことになりました。そもそも感情ということばでいいあらわせない領域があるものをあえて言語化していくような習慣…。たしかに言語化が飛躍的に進化したとはいえ、自分の感情の言語化となるとおいついていかないことや、思考が"プロジェクト"仕様となったことでやたら説明くさくなること、そして、どこか遊び心を置き忘れることなどの現象におちいることが多くなりました。

 

面白いと思って始めたことだったのに、いつのまにか、自分が表現することに面白さが色あせるようなジレンマをおこしていきました。もともと、直感的に動いていく自分にとっては新しすぎる挑戦だったからです。

 

 

自分の繊細さと向き合う。身の丈を知る。ぶれない芯の強さへの憧れ。

 

自分の核から湧き上がる表現って?

 

ジレンマから「表現」のラビリンスに迷い込んだ私。

 

この時に夜空の一番星のように勇気づけられたのが、社会の中で自分の内を外に向けて堂々と発信するアーティストのすがたでした。この間、様々なアーティストとの出会いに触発され、自身の“表現”についてみつめなおしていきます。

 

右往左往の末、まわりの仲間の存在にたすけられながらラビリンスからの脱出(感謝!)!自分の中心にある表現の核と感情の波をしれたことは、自分を基軸とした「物語」を楽しむ熱量の加減をつかむ機会となりました。

 

このジレンマ&ラビリンスのプロセスで「発信」や「作品」として相手に社会に投げかける表現をうみだすまなざしがもてたことは収穫となりました。

 

暮らしを舞台にいろんな表現をするステキな人たちとの出会いもあり、交流しているうちに、表現の形態って多様!なんだと実感でき、肩の力がだんだんとぬけて遊び心を思い出すことができました。

“ことば”の新境地へ

プロジェクトとは別で、Episode 1で、暮らしというより日常的な場の物語性や創造性にとても興味が向かっていきました。「暮らしは物語」、子どもたちのより日常に根ざした場での遊び(活動)にかかわってみたいという私の願いは「保育園」という 子どもたち主体の活動の場に携わるというかたちで現実に結ばれました。

 

3年の月日を、表現者という立ち位置から「保育園」に携わるおしごとに恵まれたのです。ご縁をいただいたのは子どもたちの表現をとても大切にする保育園。子どもの日常が表現であり、保育がアトリエのような場所でした。新しい環境に飛び込む私を子どもたちも保育士の先生たちもあたたかく迎え入れてくれて、一緒に時間を過ごすことができました。012歳の子どもたちの日常の表現や育ちに継続的に関わり、間近で子どもの姿を感じれることや、保育士の先生たちの子どもたちへのまなざしを知れること、地域社会との繋がりを感じれることは、私の「遊び観」を広げてくれました。子どもたち主体の活動について、遊びと社会の結び目について、遊びそのものがもつ底力について、さらに深くみつめていく機会となっていきました。

 

毎日が試行錯誤の連続で、自分がどうかかわったらいいのかわからず戸惑うこともありました。自分の立ち位置を見失うことも多々ありましたが、子どもたちの日常にここまで近く寄り添う機会をいただけたことには貴重な経験となりました。最終的に保育園の中で"うたこさん"として空気のように滞在交流できたなぁと思っています。子どもたちをおなじ表現者としてかかわりあい、人としてただ在ることが子どもたちにとって環境となることを学ばせていただきました。「暮らしは物語」という自分のコンセプトをじっくりとじわじわと発酵させていくような時間でした。

012歳の子どもたちとの交流から言語のやりとりだけでなく、表情や身体表現など、自身の非言語コミュニケーションの可能性をひらいていくことになりました。また、こどもたちの日常の活動の記録のあり方を試行錯誤する中で、ことばを媒体として"発信"する表現にもますます意識が向かうことになってきました。そんな風にして、自分なりに"ことば"の表現と向き合い磨くことが本格的にはじまったように感じています。“ことば”の新境地へ。

 

等身大活動をはじめたことによって出会えた仲間たちの存在は、私の日常をいろどり豊かにしてくれています。

 


私自身が日々のあらゆる出会いを吸収しながら描く実践の軌跡「あそビルド」。だんだんと、子どもたちとの遊びの世界を超えた、私自身のありかたに深く繋がっていく...そんなEpisode 2は可能性に満ちる時代でした。